昔の人気ばんぐみ その6

キャラクター設定も具体的だったそうですよ。


水戸黄門→明治、志操の高さ、業績の尊さ(例、石田礼助元国鉄総裁)藤井紋太夫、風の弥七→大正、実力、柔軟、器量(例、現在の実力者たち)助三郎、格之進→昭和、清新、情熱、意気―と具体的に書き、「水戸黄門」は本当は現代劇であることを最初から狙っていました。


番組を提供した松下幸之助氏が「水戸黄門」の企画者といわれるのも、こうした製作意図が最初からあったからでしょう。


13年間、半年約26回放映し続け、だいたい30%以上の高視聴率をあげてきた「水戸黄門」は、じつは日本人の情操向上を目的とした娯楽番組だったという事実には驚いた。


そんな教養・娯楽番組がなぜこんなに大ヒットし続けているのでしょう。


その原因の第一を、関係者は「ご老公の世直し旅」にあるといい「国鉄のディスカバー・ジャパンを誘発したのがこの番組だ」といいます。

昔の人気ばんぐみ その5

今回は、今現在でも続いている番組を(^o^)ノ


昭和44年8月4日から「水戸黄門」は放送開始されました。


当時の企画書冒頭には、次のように書かれていたそうです。


「古くから日本人に大変なじみのある水戸黄門の物語を借り、8時台にぴったりマッチする、新しいジャンルの番組を製作いたしたいと考えています。動きつづける現代社会。不断に流動しつづける流行。


日々あらたなる人間社会の営み。・・・そうしたすべての要素をよくこなして、娯楽性の豊かなしかも情操をいやが上にも高めずにはいないドラマ・・・。見ているうちに知らず知らずのうちに社会的な教養と社会生活に不可欠な教訓とを身につけていくドラマをめざしています」


だから、時代劇の形を借りてはいるが時代劇ではなく、登場人物に次の役割を意識的にになわせたのです。

昔の人気ばんぐみ その4

昔のテレビの方がリアルだったのかもしれませんね。


伊藤昭プロデューサーは、"意図せざる事件"であると主張、「歌手たちのナマの人間としての姿を引き出したいというのが、番組のそもそもの発想、だから泣きだけでなく、怒りもあってもいいし、前田さんの司会も、こうした人生の機微に触れ、さばきがきく人ということで起用したのです」と語ったそうです。


タレントの素顔がのぞかれる番組と人気上昇、最高視聴率42・2%を記録した。


しかし5年目には視聴率は約10%にダウン、司会者なしでその日その日の出演歌手に司会をしてもらうことが半年、三波伸介、朝丘雪路、芳村真理の3人司会が1年半、こうして8年目から現在の井上順・芳村真理となった。


構成の塚田氏が「しゃべりや仕掛けはせいぜい全体の30%、毎週変わる歌が主で70%」というように、この番組は「本来の姿は歌番組」(疋田氏談)、半年休んだだけで14年近く司会を続けた芳村真理は「歌本来の楽しさをたっぷり見せるのがこの番組。


ブルーマンデーの夜を慰め、歌好きの多くのひとを対象に同じスタッフで終始番組作りをしたのが長続きした原因」と証言していました。

昔の人気ばんぐみ その3

今では考えられないのですが、昔はこんなにも純な女性がいたのですね・・・。


44年1月27日放送で、コンピューターは中村晃子の"意中の人"として、目の前にいる司会者の前田武彦をはじきだした。


ところが、彼女は感受性が強いうえ、前田に好意を持っていたため、胸がいっぱいになり、急に我を忘れて泣き出してしまった。


また同年2月24日の場合は、ある程度泣くのではないかという予感(?)もあったが、レーサーの故・福沢幸雄と死の2日前に"電話コーナ!"で語り合った小川知子に、その録音テープを渡した。


彼女はテープを抱いて、「初恋の人」を歌っているうち突然泣き出し、この雰囲気につられ、いしだあゆみ、森進一が泣き、司会者の芳村真理まで涙をこぼし、"泣き"のテレビショーと書きたてられたそうです。

二つのもの

失敗した理由として二つのものが考えられます。


一つは資金的問題であって、面的再開発の場合には極めて多額のものを要し、財政的問題も含めて調達不可能になってきたということです。


第二の理由は心理的、社会的、政治的なものであって、この方法は多方面からの批判を受けた。


この面的な再開発はその地区の古い建築的構造を破壊することとなります。


世界的な傾向と言えると思うが、若い人達はコンクリート、ガラスの無味乾燥な建築物に対しては、否定的な態度をとっています。


建築物、建築的構造が破壊されるだけではなく、面開発という形において、一般的に何十年、何百年にわたって作られてきた社会的構造も、在住の居住者が放逐され、新しく別の居住者が入ってくるという過程でデスクトップ仮想化されていく。

昔の人気ばんぐみ その2

「夜のヒットスタジオ」のオープニングのメドレー・コーナーでは、「他人のヒット曲なんて歌えるものかとボイコットされ、それじゃ出てもらえるひとだけでやろうと、細々と作り始めた」と疋田氏はいっていたそうです。


"歌謡ドラマ"という歌手が出演する寸劇もこの番組の人気コーナーとなったが、その誕生のいきさつは聞くも涙の物語、このコーナーに出演してタレントになってしまった構成作家の塚田茂氏は、こう内情を打ち明けた。


「有名歌手には新人タレントが抱きあわせでつけられる。


しかし、新人歌手の歌だけでは視聴者はひきつけられない。


そこで、人気歌手をチラチラ見せる寸劇をいれることになったそうです。


しかし、切腹シーンとか、頭がい骨を割られる役とかを有名歌手にやらせるわけにいかず、自分が犠牲になってアホウな役を買って出たところが、これがうけた」しかし、この番組の初期でもっとも当たったコーナーは、"ご対面"と"コンピューターによる愛情占い"であり、"泣き"のハプニングが連続して起こり、ナマの人間味に共感したという賛成派と、見えない演出があったと批判する一派が出ました。

昔の人気ばんぐみ その1

リアルタイムでは見てないので、あまり知りませんでしたが、「夜のヒットスタジオ」は、昭和43年11月4日フジテレビで放送開始された番組でした。


4月とか10月とかいう番組改編期にスタートしていないのは、「"つなぎ"の番組として、ワンクール(3か月)ももてばいいという考えで始めたからだ」と、当時演出助手でディレクターをやっていた疋田拓氏が語っていたそうです。


この番組の生みの親である伊藤昭プロデューサーと藤森吉之ディレクターは、働いているひとたちが一服する夜の10時という時間に、そのひとたちが見られなかったゴールデンアワーの音楽番組をサービスしようという目的で番組を企画した。


オープニングの"メドレー・コーナー"が、まずレコード会社や人気歌手の反感を買ったそうです。

社会経済活動が高い水準にあるものとは

さあ、リサイクル、エコ活動をしましょう!

うちの事務所はリサイクルトナーにしました。

環境をよくするには、社会経済活動を低くすればいいんです。

現在の大量生産、大量消費の社会経済が環境問題の背景にあると思います。

だから贅沢をいましめようという立場です。

あるいは、これを政策的にやると、我慢を強いるとか、欲しがりません勝つまではとか、贅沢は敵だとか、そういうような立場になるかと思います。

会社でやくだつノウハウ その7

TPMの手順 その2
★修理方法の合理化
共通部品・予備品の保管方法改善

★設備設計上の弱点対策は
内在する弱点の探知と対策、寿命延長のための強度向上対策

★保全技能のレベルアップは
操作ミスの排除、修理ミスの防止・操作・修理など保全技能の向上TPMでは、日常的に全員が機械や設備に関心をもち、効率的な生産活動をはかることを大きなねらいとしています。

会社でやくだつノウハウ その6

TPMの手順は企業の実態に即して検討することになっているが、主要なチェック項目として次のように区分することができます。

★基本条件の不備はないか
清掃・給油基準のみなおし、事故発生源の確認と対策

★使用条件は守られているか
設備操作方法の標準化、施工基準の設定と標準化・環境条件の整備

★劣化部分は把握されているか
日常点検の確立と標準化、点検・検査・取替え基準の作成・異常傾向の予知

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